2013年04月14日

海旅の世界に入る事になった、きっかけ

僕が海旅の世界に入る事になったきっかけは、陸上での大事故でした。

事故の原因は、スケートボートのダウンヒル。

その時の記憶は、今も無いのですが

頭蓋骨折に脳挫傷、左顔面麻痺になりました。

毎朝、病院食に出てくるお味噌汁をうまく飲み込めずベッドにコボしていたのを覚えています。

入院生活も一ヶ月が過ぎた頃、リスクの高い開頭手術の話が主治医からありました。

その日の夜は、なぜか不思議と不安よりも、心の底から生きている事に感謝することができた夜でした。

言葉を変えれば、生きてるんだから顔に麻痺が残ろうが別に良いじゃないかと現状を受け入れた夜でもありました。

身体の不自由よりも、生に純粋に深く感謝しました。

生きてるって事は、それだけで凄い事なんだと。

生まれて初めて人生を受け入れた夜でもありました。

奇跡が起こったのは次の日の早朝でした。

ピクリとも動かなかった、左顔が少し動いた感じがしたのです。

一歩一歩に病室の鏡の前に歩いて行き(この時はまだ歩く事さえ大変でした)

懐かしい感覚と共に、顔を動かしてみました。

やはり、かすかですが顔が動きます。

次の瞬間、鏡に写っている僕はガッツポーズをしていました。

本当に嬉しかったのを覚えています。

その日を境に、僕の身体は水を得た魚のように回復をしてくれました。

今でも不思議なのですが、自分にとって不都合な事実でもそれを受け入れる事によって変わってゆく事象があるのだなと分かり始めたのもこの頃です。

マテリアルとしての身体。

パートナーとしての身体。

ある意味では、身体は舟でもあると感じています。

退院をし、歩くリハビリとして小学生時代の通学路を何度となく往復をしました。

ゆっくりとゆっくりと通学路を歩きました。

心の奥底に眠っていた幼少の頃の記憶が、映画「思い出ポロポロ」のように、湧いてきました。

墓場を通り過ぎる時は、怖くて早足になったり

イチジクの実の成長を楽しみにしていたり

今にして思えば贅沢な話しなのですが、東海道五十三次の路も通学路の中にありました。

そして一番のメインは、船着き場にかかる橋でした。

橋の上から毎日毎日、海を見ていました。

年に何回かは、海鳥に追われ何万ともいえるボラや小魚の大群が

そこに押し寄せて、船着き場全体が魚でうねり

意味も分からずに興奮していたのを覚えています。

通学路に海があったんです。

この橋の上を何度となく、自転車に乗って、バイクに乗って、車に乗って通っていましたが

大人になってもう一度歩き始めた僕は、そこでようやくハッと気付きました。

まだ通学路からの新しい道があるじゃないかと。

それが、僕が海上に出るきっかけとなった経緯です。

もちろん初めて買ったシーカヤックは、強引にその橋のふもとに下しました。

その時の体験も、とても不思議なものでした。

興奮している訳でもなく、感動している訳でもないのに

両方の瞳から、何故か涙がボロボロと流れてくるんです。

自分でもなんだこれは?って思うほどに冷静なのに、

ボロボロ、ボロボロと涙がこぼれていきました。

海の上に出た途端、強烈に全てと繋がった静かな感覚が引き起こしたものでした。

今では、なぜあの時にそうなったのかが少し分かるような気がします。

人生を書ける程の経験や知恵、技量は僕には無いのですが

素直に思った事を行動し、試していくアクション力が僕の取り柄なのかなと、文章を書きながら思いました。

長くなりましたが、海旅との経緯です。

僕の旅は、通学路からの延長に過ぎないんです。

本当は皆さんも、そうなのではないでしょうか。

それでは。

愛と海の神様への敬意を込めて。

カツカヤック















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